2004-09-27
放射光と放射線のちがい
Q: 放射光と放射線のちがい(藤村)→A: 「放射光」は正しくは「シンクロトロン放射光」のことです。シンクロトロンというのは高真空の環状の管中で電子を加速してぐるぐる回転させる装置です。実際には直線の管をつなぎ合わせて環状にしてあるのです。直線から次の直線へ電子を曲げるには強い電磁石を使います。曲げるときにチェレンコフ効果といって強い「白色」光が放射されます。この「白色」光の波長は、X線→極紫外線→紫外線→可視光→赤外線→遠赤外線、にわたり強い強度をもっています。一方、放射線は、放射性崩壊によって放出される高エネルギーの粒子線(α線、β線、γ線)の総称です。
放射光の発生と性質
2004-09-21
Ahmad Shamlou
Iran's most celebrated contemporary poet
2004-09-16
京都の「菊乃井」が東京初出店 100年先を考えた店作りに感銘
【編集長より】
京都の老舗料亭「菊乃井」が、東京に初進出しました。場所は赤坂ですが表通りから一本外れているうえに、その道路からも20mほど奥まっているため、長い間買い手のつかなかった土地です。三代目主人の村田吉弘さんによると、「その引き込みがあったからここに決めた」と言います。「この20mの引き込みを“異空間”へのアプローチ、つまり京都への入り口にしよう」と考えたそうです。
その異空間を作るにあたり、村田さんは一切手を抜きませんでした。京都から数寄屋の設計者と棟梁、それに庭師を呼び、文字通り京都そのままの建物と空間を作ってしまったのです。店の周りはビルに囲まれているのですが、アプローチにはこれも京都から運ばれた竹と紅葉、苔が植えられ、日常的な「雑音」が巧みに消されています。店内には長さが8m50cmもあるヒノキの一枚板で作ったカウンターや、国宝の茶室を写した「如庵」という茶室も設けられ、そうした手の込んだしつらえそのものも“ご馳走”になっています。
これまで、菊乃井には東京の再開発ビルへの出店の誘いがたくさんありましたが、すべて断ってきました。その理由について、村田さんは新聞のインタビューでこう答えています。「再開発ビルはオープン当初集客力があっても、次々に新しいのができるから、人気が落ちるのも早い。だから10年で投資回収する計算をせざるを得ません。そうすると原価率を20%強に抑えなあかんけど、これで菊乃井らしいと思ってもらえる料理は作れません。売り上げが少し下がったらデベロッパーから尻をたたかれます。長い目で商売できません」。
村田さんは著書(『京都料亭の味わい方』光文社新書)の中でも、こう言っています。「東京の店は京都と比べて、概して短い期間でしか、ものを考えていないと思います。今、ここでお客さんが入ってくれさえすればええ。儲けて、2、3年経ったら、その店は閉めて、違う業態に変えていけばええやんという気持ちがあるんやないやろか。そういう刹那的な考えでは、東京には根っこのある日本料理店がなかなかできま
へん」。
そのために、10年の歳月をかけ、10億円もの借金をして、自前の店を作ったというわけです。この返済だけでも大きな負担ですが、京都や明石から運ぶ食材の原価、総勢30人ほど抱えた料理人の人件費、建物や庭の維持費などを考えると、決して儲かる商売ではないはずです。それでも、「夜の予約は5時半からの早い時間だけにして、7時半以降の予約は原則として取らない」そうです。理由は、「予約で全部埋めてしも
うたら、うちの店を昔から贔屓にしてくださっているお客さんがふらりと食べに来られなくなりますやろ」。
そこにあるのは、孫やひ孫の代までも継いでいきながら、50年、100年続く店を作ろうという発想です。商売の時間尺度そのものの違いに半ばあきれつつ、京都の老舗料亭の底力を改めて見せつけられた思いがしました。
日経レストラン編集長 菅原 雅信
「日経レストランONLINEマガジン」
2004/9/14火曜日 No.133
京都の老舗料亭「菊乃井」が、東京に初進出しました。場所は赤坂ですが表通りから一本外れているうえに、その道路からも20mほど奥まっているため、長い間買い手のつかなかった土地です。三代目主人の村田吉弘さんによると、「その引き込みがあったからここに決めた」と言います。「この20mの引き込みを“異空間”へのアプローチ、つまり京都への入り口にしよう」と考えたそうです。
その異空間を作るにあたり、村田さんは一切手を抜きませんでした。京都から数寄屋の設計者と棟梁、それに庭師を呼び、文字通り京都そのままの建物と空間を作ってしまったのです。店の周りはビルに囲まれているのですが、アプローチにはこれも京都から運ばれた竹と紅葉、苔が植えられ、日常的な「雑音」が巧みに消されています。店内には長さが8m50cmもあるヒノキの一枚板で作ったカウンターや、国宝の茶室を写した「如庵」という茶室も設けられ、そうした手の込んだしつらえそのものも“ご馳走”になっています。
これまで、菊乃井には東京の再開発ビルへの出店の誘いがたくさんありましたが、すべて断ってきました。その理由について、村田さんは新聞のインタビューでこう答えています。「再開発ビルはオープン当初集客力があっても、次々に新しいのができるから、人気が落ちるのも早い。だから10年で投資回収する計算をせざるを得ません。そうすると原価率を20%強に抑えなあかんけど、これで菊乃井らしいと思ってもらえる料理は作れません。売り上げが少し下がったらデベロッパーから尻をたたかれます。長い目で商売できません」。
村田さんは著書(『京都料亭の味わい方』光文社新書)の中でも、こう言っています。「東京の店は京都と比べて、概して短い期間でしか、ものを考えていないと思います。今、ここでお客さんが入ってくれさえすればええ。儲けて、2、3年経ったら、その店は閉めて、違う業態に変えていけばええやんという気持ちがあるんやないやろか。そういう刹那的な考えでは、東京には根っこのある日本料理店がなかなかできま
へん」。
そのために、10年の歳月をかけ、10億円もの借金をして、自前の店を作ったというわけです。この返済だけでも大きな負担ですが、京都や明石から運ぶ食材の原価、総勢30人ほど抱えた料理人の人件費、建物や庭の維持費などを考えると、決して儲かる商売ではないはずです。それでも、「夜の予約は5時半からの早い時間だけにして、7時半以降の予約は原則として取らない」そうです。理由は、「予約で全部埋めてしも
うたら、うちの店を昔から贔屓にしてくださっているお客さんがふらりと食べに来られなくなりますやろ」。
そこにあるのは、孫やひ孫の代までも継いでいきながら、50年、100年続く店を作ろうという発想です。商売の時間尺度そのものの違いに半ばあきれつつ、京都の老舗料亭の底力を改めて見せつけられた思いがしました。
日経レストラン編集長 菅原 雅信
「日経レストランONLINEマガジン」
2004/9/14火曜日 No.133
